介助とパンクで社会を包摂する。Less Than TV 谷ぐち順が謳う「絶対、分けない」共生社会

2022/09/30

これまで自分は、差別や偏見に対してNOという意識を持って生きてきたつもりだった。
しかし、今回の取材を通じて、その自信が大きく揺らいでしまった。差別や偏見は、国籍・性別などのわかりやすい違いだけではなく、何気ない認識や無意識の言葉選びにも潜んでいることに気づかされたからだ。

今回取材をさせていただいた谷ぐち順さんは、来年で30周年を迎える音楽レーベル『LessThanTV』の代表を務めながら、障害がある方の生活をサポートする介助者としても働かれている。2022年5月には自立生活支援を目的とした事業所「谷ぐち介助クラブ」を創立。世田谷を中心に活動の輪を広げている。

取材先に到着すると、谷ぐちさんはとある男性を紹介してくれた。周りから「フミ」というあだなで呼ばれているその方は、脳性麻痺の当事者で、ほとんどの時間を車椅子で過ごしているという。僕らが部屋にお邪魔したときも車椅子にかけていたのだが、その光景は予期せぬものだった。フミさんは、介助の方にチューブ状の喫煙具を持ってもらいながら、ぷかぷかと煙草を吸っていたのだ。

撮影に応じてくれたフミさん

その様子を見て、僕はとても驚いた。正直に告白すると、「脳性麻痺の方も、煙草を吸うんだ......」と思った。

だけど、よくよく考えてみれば、脳性麻痺の方は煙草を吸わないというイメージは、僕の勝手な思い込みにすぎない。そういう勝手なイメージ自体が立派な偏見なのだと、たった数秒間の出来事で思い知らされた。聞けばフミさんは、煙草も吸うし、お酒も好きで、バンドまでやっているのだという。そのどれもが、自分にとっては衝撃的な事実だった。

灰皿と吸い殻とチューブ状の喫煙具

煙草を吸い終わったフミさんに、谷ぐちさんが「あ・か・さ・た・な」と話しかけ、続いて「な・に・ぬ」と五十音を順番に読み上げていく。最初は何をしているのだろうと思っていたが、見ているうちに文字をひとつずつ拾って会話をしていることがわかった。そういう会話を目の当たりにしたのも初めてだったので、自分はどんな受け答えをしたらいいのかわからずに立ち尽くすばかりだった。

知らないことや、勝手なイメージは、無意識の偏見に直結している。そんな実感に打ちひしがれ、言葉にならない動揺を抱えながら、25年に渡って介助と向き合ってきた谷ぐちさんにお話を伺った。

谷ぐちさんの写真

谷ぐち順さん

1992年に設立された日本を代表するパンクレーベル「Less Than TV」主宰。介助者。Limited Express (has gone?)、タントークのベーシスト、弾き語りソロユニットFUCKER、として音楽活動を展開。また、レーベル主宰者として多くのバンド作品や『METEO NIGHT』など主催イベントに関わる。

介助の現場で気づかされた無意識な偏見

取材に応じる谷ぐちさん

──谷ぐちさんが介助の仕事をはじめたきっかけを教えてください。

もともとは北海道から東京に出てきて、音楽をやりながらビルの窓拭きとか、掃除の仕事をしていたんですよ。あるときにバンド友達の一人が障害がある方の介助をしていると聞いて、「介助の仕事をしてるんだって? えらいね!」みたいなことを言ったことがあったんです。そうしたら、「えらいって何すか?」ってブチギレられて。

──何がよくなかったんですかね?

無意識に「障害がある人=不幸な人」って認識があって、介助の仕事を「社会奉仕」みたいなニュアンスで捉えてたんですよね。でもそれって、ただの偏見じゃないですか。

──あぁ、そうですよね。僕もさっきフミさんとお会いしたときに、「脳性麻痺の方も、煙草を吸うんだ...」と思って。自分が無意識に持っていた偏見に気づかされました。

わかります。僕もまさにそんな感じで、彼の言葉に困惑してたら「一回遊びにきてくださいよ」と誘ってもらって。それで初めて介助の現場を見に行った先にいたのがフミだったんです。

取材に応じる谷ぐちさん

部屋を見回すと、フィギュアがたくさん飾ってあったり、タバコの灰皿が置いてあって、それを見て、「この人、本当にここで暮らしてるんだ」と思って。障害がある方が、自分でアパートを借りて暮らしてるってこと自体が衝撃的だったんですよね。「あ・か・さ・た・な」ってコミュニケーションをとってる様子にも驚いて。そこでの体験すべてが、本当にカルチャーショックだったんです。

──どういった点でカルチャーショックを受けたのでしょうか?

僕はフミに会うまでずっと「障害がある人=不幸な人」って思ってたんですけど、それって刷り込まれたイメージで、実際はそうじゃないんだって気づいたんです。彼は自分と同じように、自由に、好き勝手に暮らしてるだけだったんで。

ギターを構える谷ぐちさんと笑顔のフミさん

──そういう体験をして、自分でも介助をやってみようと思ったのは、なぜだったんですか?

んー、何度か遊びに行っているうちに、自然に介助をやってたんですよね。友達の作戦だったのかも。ただ、そんな暮らしを実現させているフミを見てかっこいいって思ったのと、それを手伝うのって楽しそうだなって感覚はありました。

障害の有無ではなく、個人と個人として付き合う

フミさんの部屋に貼られたホワイトボード
フミさんの部屋に貼られたホワイトボードには、担当する介助者の名前が日ごとに連なる。

──介助者として、谷ぐちさんはどんなサポートをされているのでしょうか?

風呂、食事、トイレ、見守り、必要であればなんでもやりますよ。その人の生活に関わること、すべてです。介助って、それ以上でも以下でもないですから。でも、それ以外もあるというか。

──「それ以外」というと、どんなことがあるんですか?

例えば、好きな人ができて、告白したけどフラれちゃったとか。そういうときには、慰めたほうがいいのかなと悩みつつも、ただ一緒に爆音で中島みゆきの曲を聴いたりしてますね。それで自分まで泣いちゃったりするんですけど(笑)。他にも映画を観に行ったり、メシ食いに行ったり。

──障害がある方と介助者が一緒にご飯を食べるのって、よくあることなんですか? すごく勝手なイメージなんですけど、もっとサポートを受ける側と、する側みたいな線引きがはっきりしているのかと思ってました。

もちろん人によりますけど、お酒が好きな人だったら一緒に飲みに行ったりもしますよ。居酒屋で酔っぱらって喧嘩になったりとか。

──えっ! 喧嘩することも?

あります(笑)。

──どういうことで喧嘩をするんですか?

いろいろありますけど、単純に意見がぶつかったりとか。介助を受ける人が何を求めるかによるんですけど、障害がある方と介助者の関係って、人それぞれなんですよ。指示を出すからそれだけをやってくれという人もいれば、お互いに影響を受け合う友達みたいな関係がいいって人もいて。

笑顔で取材に応じる谷ぐちさん

介護施設と違って、介助者は自ずとその人の生活に深く入ることになる。だから、介助って関係性がすごく難しいんです。つい体の心配をし過ぎて、フミに「お前は俺の親じゃねえだろ」って怒られたこともあります。親子でもないし、上司と部下でもない。恋人でもないし、友達ともちょっと違う。かなり特殊な人間関係なんですよね。

──なるほど。

そう考えると、当然、ぶつかることもあるんですよね。特に僕は友達的なスタンスになりがちなんで、一言多くならないように注意してます。「お酒飲み過ぎじゃないっすか」とか。心配して言ったつもりでも、相手からしたら余計なお世話で、そんなこと介助者に言われたくないんですよ。だって自分の手で飲めないから頼んでるのに、介助者の意思で止めたら、本人の飲みたいって意思を奪ってしまうわけだから。

──本人の意思に反して、勝手に行動を止めることはできないと。

はい。なので、ベロベロに酔っていたとしても、「飲む」と言われたらストローを口元に持っていきます。そういう難しさは、いっぱいありますね。だから、いろいろとイメージしながらやってます。

笑顔で取材に応じる谷ぐちさん

──今のお話を伺ってて思ったんですけど、「相手をわかろうとする」って、実はおこがましいことなのかもしれませんね。そもそも、他人のことなんてわかるものなのかなって。

完全にわかるとは思わないです。でも、可能な限り相手のことをイメージして理解していく。これが介助の難しいところでもあり、一番楽しいところでもあると思っています。それって人間関係すべてに言えることですよね。

──あぁ、確かに。

結局は個人と個人なので、他の人間関係と根っこでは一緒なんですよ。

介助とパンクに共通するスタンス

谷ぐちさんを追ったドキュメンタリー映画『MOTHER FUCKER』より

──谷ぐちさんは介助の仕事と並行して、ご自身で音楽活動もされていますよね。

それこそ、僕のまわりの介助者はバンドやってる人が多いですね。特に、パンク・ハードコアが多くて。実際、ライブで介助者募集の曲とかをやると、「自分も福祉の仕事をしてるんですよ」とか「ちょっと介助に興味があって」とか話しかけられることが多くて、「介助パンクス」なんて呼んだりしてます(笑)。

──なぜそういったジャンルの方が多いんでしょうか?

パンクとかハードコアって、「世間の常識」や「価値観」に囚われたくない人がやる音楽だと思うんですよ。実際、自分が見てきたパンクシーンって、それぞれが事情を抱えながらも自由に集まって、すごく敷居が低くて、とてもウェルカムな場所だったんです。パンクと出会って、「どこにいても浮いてる気がしてたけど、ここなら大丈夫かも」って救われたのも、そこが多様な価値観を認めてくれたからでした。

2016/4/1@下北沢THREE Block Party×FUCKERレコ発にて

──パンクシーンははみ出していた自分を受け入れてくれた場所だったんですね。

そんな場所が社会にもあったらいいし、さらに言えば社会全体がそんな場所になればいい。そこには〝いろいろな価値観があっていい〟という考えが根っこにあって、その感覚は介助をする上でとても重要だと思います。

──いろんな価値観があっていいから、誰かに押し付けるべきではないと。

そうですね。介助でそれはNGです。あくまでその人の生き方だから、主体はその人にあると考えます。僕たちはただお邪魔して手伝ってるだけなんで、そこを尊重できないと介助にならないんですよね。

誰もが排除されない社会を作るために

谷ぐち介助クラブのイメージ画像

──今年の5月にはご自身で介助の事業所を立ち上げられたそうですが、どういった経緯だったのでしょうか?

独立するまでは、とある社会福祉法人で働いていました。非常勤職員としてトータル8年くらいいたのかな。そこでは本当に色々なことを学ばせてもらったんですが、もっと「やりたいこと」が出てきて。

──やりたいこと。

僕は障害のある方でも「親元を離れて、自立した生活をする」という選択肢が1番に来るべきだと考えてます。地域で、その人らしく自由に暮らす。それが実現できるように社会を変える。とにかく地域での自立生活にこだわってやっていきたいんです。もちろん、それを支えるのは大変です。「その人の命を守る」のは当然として、「その人の生活を守る」という責任があるので。

「介助」に対するスタンスはさまざまで、中には「仕事は仕事」と割り切っている人もいる。その考えを否定するつもりはないけど、僕は自分の事業所で、その目的を共有できる人だけと一緒に活動しようと思ったんです。

取材に応じる谷ぐちさん

──それだけ大変にも関わらず、なぜ谷ぐちさんは自立生活を支援するのでしょうか?

障害のある人が、あたりまえのように施設で暮らしていることを問題だと感じているからです。住む場所に限らず、生きていく上での選択肢がものすごく少ないんですよ。特に知的障害の方は、実家で暮らしているか、そうじゃなければ施設に入っているというのがデフォルトで。自分が生まれ育った場所に住みたいと思っても、「今は空きがないので、入れるのは東北の施設ですね」みたいなことが普通にあるのが現状なんです。

──障害のある方は自分の望んだ場所に住むことすら難しいと。

馴染みのお店でご飯を食べて、カラオケして、ちょっと挨拶する声が大きくて周りの人がびっくりする時もあるけど、それも段々慣れてきて挨拶を返してくれる人がいたり。地域で理解されながら暮らすってそういうことだと思うんですよ。それが親御さんが高齢になって自宅で介助できなくなったからって、いきなり遠くの施設に送られる。どう考えてもおかしいと思いません?

──それって言い方を変えれば「排除される」のと同じことですね。

要するに今の社会は、障害のある方がいないものとして作られてきた「健常者社会」なんですよ。その根本が変わっていかないとダメだと思うんです。健常者社会の一画に場所を用意して、「どうぞ向こうで安心してお過ごしください」じゃなくて、もともと一緒の場所に住んでる。そういう感覚に立ち戻って考えないと、本当の「共生社会」なんて実現できないですよね。

──そこに立ち返ってスタート地点を引き直さなきゃいけないってことなんですね。

そう思います。僕も介助の仕事をしていたとはいえ、恥ずかしながら、社会に対しての危機感なんて持ってなかったんです。「共生社会」は実現に向かって進んでいると信じてた。そこに「津久井やまゆり園事件(※1)」が起きて意識が大きく変わりました。無理解からくる差別や偏見を少しでもなくし、優生思想とハッキリ対峙しなければいけないと。事業所を立ち上げたのには、そういった背景もあります。

※1:2016年7月26日未明に相模原市の障害者施設 「津久井やまゆり園」で入所者など45人が次々に刃物で刺された殺傷事件。 事件の動機について、逮捕された元職員は「障害者はいなくなればいい」などと供述していた。

──フミさんとお会いしたり、谷ぐちさんのお話を伺って、自分は知らず知らずのうちに偏見を持っていたんだなと気づきました。そういうのを取り払うためには、どうしたらいいのでしょうか?

それってもう答えはひとつで、障害のある方とどんどん関わっていくしかないと思います。ただ、そんな場所ってあまりないんですよね。一緒に遊べる場所、まあ、無理して遊ぶ必要はないんで、一緒に過ごせる場所。実は最近、知人とそういうことができそうな物件を探していて、ついに見つけたんですよ。

──おお! じゃあそこでいろんな交流が生まれるようにするってことですか?

そうです。でも制度や助成金を使った「施設」じゃなくて、もっと「開けたコミュニティ」というか。友達の家に遊びに行って、たまたまいたそいつの兄ちゃんにギターを教えてもらうみたいな。そうやってフラットに障害のある方と交流できる場所があれば、思い込みや偏見が少しずつでもなくなって、本当の共生社会に近づいていけるのかなって。

谷ぐちさんとフミさん

──社会を変えるって、何か大きなことを起こすのではなく、小さくても着実なアクションを積み重ねていくことで実現できるのかもしれないですね。

実際、僕はフミと出会ったことで意識が変わったし、自分のライブがきっかけで介助を始めた人もいます。障害の有無で分け隔てないで、自然に関係性が生まれていくような場所が増えていけば、きっと周囲の考え方も少しずつ変わる。その結果、未来や社会が変わっていく、それを本気で信じてます。

でも、それをするにはまだまだ人手が足りてないのが現状で。自分の活動を通して、少しでも多くの人に興味を持ってもらえたら嬉しいですね。介助はもう、それはそれは最高なので。

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