インドで身ぐるみ剥がされて気づいた異文化コミュニケーションのヒント。探検作家・高野秀行の多様性社会論

2023/05/29

『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)という本が話題を集めています。著者は、アジア・アフリカ・中南米など世界各地の辺境を探検し、独自の切り口でその冒険譚を綴ってきたノンフィクション作家の高野秀行さん。これまで訪れた国は約70、習得した言語は25以上。本書は、高野さんが言語とどのように向き合い、そして魅了されてきたかを、ユニークなエピソードとともに紹介した「語学エッセイ」です。

とはいっても、本書は自己の語学スキルを誇示しているわけではありません。それどころか「私ほど語学において連戦連敗をくり返し」ている人はいない、とまで言い切ります。見た目も違う、日本語も通じない、価値観も違う人々に囲まれながら、それでも「言語」を武器に、数々の難局を乗り切ってきた異文化コミュニケーションの達人に、多様性社会の中で共生していくためのヒントについて伺いました。

高野 秀行(たかの ひでゆき)さん

1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍中に『幻獣ムベンベを追え』を執筆し、作家デビュー。モットーは、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」。唯一無二のテーマで世界各地を取材している。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞を受賞。

インドで身ぐるみ全部剥がされてから旅の姿勢が変わった

──ノンフィクション作家として数々の辺境を旅してきた高野さんですが、初めて一人で海外旅行をしたのは大学一年生の頃だそうですね。この時は、インドに一カ月間滞在されていますが、なぜ、「インド」だったのでしょうか。

異文化の度合いが強そうだと思ったからです。あの頃、未知の土地を探索したいとか、謎を解きたいとか、なぜかそういう強い気持ちが僕にはあって。それで大学の探検部に入ったのですが、最初やりたいことがなかなか見つからない中で、選択したのがインド一人旅でした。

別にインド旅行って探検でもなんでもないんだけど(笑)、自分が異国の地へ行って、外国人に囲まれて、当時はヒンディー語とか、ベンガル語を話す発想はなかったので、英語になってくるわけですけど、英語しか通じない世界に放り込まれるというのは、想像もできなかったし、すごくエキサイティングな体験だろうなと思ったんです。

──実際に、そのような状況に置かれて、どうでしたか?

すごく緊張したし、毎日必死だったけど、やってみると案外なんとかなるなっていうのがわかってきました。普通にぼったくられたり、騙されたりということもあって、人間不信にはなりましたけど(笑)。

──普通は、そこで心が折れそうですよね。

旅の途中に、パスポート、帰りのチケット、有り金、全部身ぐるみを剥がされたんですけど、それで変わりましたね。それまでは騙されないようにつつがなく過ごそうという、守りの姿勢だったんですけど、全部取られちゃうと、もう守るものがないですから。

──確かに(笑)。

そこからもう全面的に攻めの姿勢に転向しました。自分から積極的にモノを言っていかないと何も解決しないので、警察官に事情を説明したり、現地で知り合った小学生に交渉して居候させてもらったり、航空会社にチケットの再発行をかけあったり。すると、守りに徹していた時にはなかった、高い充実感が得られるようになったんですよ。こういう攻め方をしたらダメだったけど、こうしたらうまくいった、みたいなゲームを攻略している感覚というか。当時はきつかったけど、その体験が今につながる原点となっていますね。

現地の舟大工に舟を作ってもらったら爆笑された

──言語、価値観や文化も異なる人たちと仲良くなるために、高野さんがいつも心がけていることはありますか。

相手をリスペクトすること、そして好奇心を持つことです。具体的に言えば、相手と同じような生活を心がける。同じものを食べて、相手が喋っている言葉を少しでも覚えて話す。行動とか仕草も、寄せていきます。

──言葉を覚えるだけでなく、現地の人と同じ行動をするということですね。例えば高野さんが最近、実践されたことはなんでしょうか。

ここ数年、イラクの湿地帯に住んでいる水の民を取材しているんですけど、彼らと仲良くするためにはどうすればいいのか、一緒に取材しているパートナーと考えて思いついたのが、彼らは水の民なので舟で移動する、だから地元の人たちと同じ舟を作って乗ればいいんじゃないかと。そしたら、みんな面白がってくれるじゃないかって。

イラクの湿地帯。高野秀行提供

今は現地の人もみんなモーター付きのボートに乗っているんですけど、70年代くらいまでは、三日月型の伝統的な舟があったそうなんです。それで、現地の舟大工に頼んで、舟を作ってもらいました。

──現地の人の反応はどうだったんですか。

やっぱり面白がられましたね(笑)。話を聞いた時は爆笑しているんだけども、実際に作った舟の写真を見せると、みんな「おおー」って(感心して)。すごく興味を持たれましたし、舟大工を探す過程の中で、いろいろな人とのつながりもできましたね。

伝統的な舟を現地の舟大工に作ってもらっているところ。高野秀行提供

空気を読み合うのではなく、交渉することが大事

──さまざまな国の人と交流してきた高野さんに、ぜひお聞きしたいのですが、いまの日本で多様性社会の実現、多様な人々と共生していくために必要なことはなんだと思いますか。

一つ大事だと思うのは「許容すること」、または「排除しないこと」ですよね。多様性を求めながらも、学校では髪色がどうとか、制服がどうとか、みんなと違うことはやっちゃいけないみたいなことを言うでしょ。

例えば、タイという国は僕にとって馴染みの深い国なんですけど、タイの人って自分にとって害のないことにはもう頓着しない、気にしないんですよ。面白かったのは、タイの地方の町に行った時に、友だちの用事で携帯ショップに行ったんです。するとカウンターの真ん中にドーンと太った猫が寝ていて、猫がいるからみんな別のスペースで接客や、手続きをしていて。

高野さんが1992年に、タイのチェンマイ大学で日本語講師をしていた頃の写真。高野秀行提供

──看板猫ですかね。

そう思うじゃないですか。でも、お店の女の子に猫の名前を聞いたら「いや、名前は特にない」って(笑)。興味ないのなら、邪魔扱いしそうなものですけど、猫が気持ちよさそうに寝ているからか、どかそうとしない。

どうでもいい猫に対してすらそうなんだから、人間に対しても同じ。例えばベンチに寝ている人がいて、困っているのなら手を差し伸べますけど、基本的には他の人が何をやってようが、気にしない。「そこは寝るところじゃないよ」なんて言わないわけです。

──確かに今の日本だと、直接の利害関係を超えて、空気を乱す人や、価値観の異なる人を罰しようとする風潮があるかもしれませんね。

それから多様性というのは、一人ひとりのことをリスペクトすることでもあると思うんですよ。外国人に対してはこう接するべきとか、LGBTの人にはこう接するべきとか、何か決まりがあるように思っている人も多いかもしれないけども、僕の感覚はちょっと違っていますね。大事なのは目の前の人とどう接するか。

──どういうことでしょうか。

例えば、僕の知り合いにミランさんというネパール人がいてね。最初、まだ親しくないときは、「ネパール人」だと思っているんですけど、段々と交流が深まってくるにつれて、国籍とか民族とか考えなくなって、「ミランさん」だとしか思えなくなってくる。

ネパール人といっても、もう本当ピンキリで、日本に10年いて日本語も全く問題ないという人もいれば、来たばかりの人もいて、全然違うわけですよ。男性もいれば女性もいるし、年配の人もいれば子どももいてね、もう千差万別。ミランさんにとっても、「ネパール人」というのは数ある特徴や特質の一つでしかなくて、他にも「男性」「38歳」「子どもの進学で悩んでいる」とか、いろいろあるわけですよ。

──それだけ聞くと、日本人とあまり中身は変わりませんね(笑)

日本人とネパール人って実は共通する部分がすごく多い。でも、たとえ3分の2くらいが同じでも、残りの3分の1の差異が日本人からはすごく異質に見えて、そこに引っかかってしまう人が多い。だから摩擦が起きてしまうんですよね。

──文化や価値観、風習の違いで起こる隣人トラブルという話はよく聞きますね。

同じマンションやアパートの住人が夜中までうるさいとか、ゴミがちゃんと出せないとか、ですね。そういったトラブルが発生すると、「何を考えているか分からない」といって、立ち止まってしまう日本人が多い。だけど、日本以外のほとんどの国って、うるさかったら「ちょっと静かにしてください」って相手に言います。そしたら向こうも「すみません」と音量を下げて、特にわだかまりはない。日本だと「うるさい」と思われただけで一発アウト、それがしこりとして残ってしまうじゃないですか。

──なぜ、そうなってしまうのでしょうか。

言語学や社会学的には、日本は「ハイコンテキスト社会」というそうです。要するに共有している文脈が多すぎて、会話をしなくても、お互いに忖度できちゃうんですよね。ところが多様性のある社会になると、忖度できないわけですよ。価値観が違うから。

でも、世界中どこにいっても、モラルってそんなに変わらないと僕は思うんですね。人に迷惑をかけたくないとか、人に親切にしたいっていう意識は、みんな共通しているわけです。ただどこまでが迷惑なのかっていう線引きが、国や民族によって違うので、日本に来たばかりの人に対しては、そこを調整してあげる必要があるんですよね。例えば、ソマリ人とかイラク人は、もう鼓膜が破れるんじゃないかっていうぐらいでかい声で喋るけど、母国ではみんなが、そういうふうに喋っているから、迷惑だとは思っていないんです。

それに対しては、「日本では違うんですよ」と言ってあげれば、大抵の人は理解してくれるし、日本のマナーをリスペクトしようというふうに変わってきますよ。

──「空気を読め」じゃなくて、ちゃんとお願いする。

そう。面白いのが、海外では「話せばわかる」ってことが多いんです。例えば「お店の中で写真撮っていいですか?」とお願いするとして、日本では「規則でダメです」とすぐシャットアウトしちゃって、交渉の余地がないことが多いんですけど、海外では人間の裁量が大きいから、交渉次第でなんとかなるというノリがあるんですよ。これはヨーロッパやアメリカでも同じ、喋って交渉する、ということですね。

お願いしたいこと、助けて欲しいことがあったら、直接聞いてみる。簡単なんですよ。(多様性社会の中で共生していくには)やっぱり一人ひとりと話をして、問題解決して、互いにより良い暮らしを目指していくということが、必要になってくるんじゃないでしょうか。

<取材後記>

『語学の天才まで1億光年』の中で、高野さんは、言語は「魔法の剣」であり、「言語を学ぶと、それを話している人たちの世界観もこちらの体に染み込んでくる」と語ります。

人間一人ひとりの価値観を尊重し、異なる人々が共生していくことを「多様性社会」というのであれば、私たちには一層のこと「言葉」を尽くして相手に語りかけ、そして相手の意見に耳を傾けるということが、さらに必要になってくるのかもしれません。

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