レースファンが障がい×eモータースポーツの「旅」で見つけた新たな目標 -憧れの世界が自らの舞台に-

2023/12/19

バリアフリーeスポーツを提唱するePARA社は、一般財団法人トヨタ・モビリティ基金主催のアイデアコンテスト「Mobility for ALL - 移動の可能性を、すべての人に。」(以下、「Mobility for ALL」)部門で、「クロスライン-ボクらは違いと旅をする-」(以下、「クロスライン」)の採択を受けました。SEASON1(2022年8月~10月)は岡山国際サーキット、SEASON2(2023年1月~9月)はモビリティリゾートもてぎで行ったこのプロジェクト。企画には50名を超える障がい当事者が関わり、eモータースポーツをきっかけとした「旅」づくりを行いました。今回は、その中心的な役割を担った発達障がい当事者・希央(きお・ビーウィズ株式会社所属)の寄稿記事をお届けします。

モータースポーツと希央

遡ること18年前。中学生時代の私がハマっていたのは深夜のF1中継。
当時はちょうど佐藤琢磨選手が活躍していた時期で、家族から夜更かしを咎められながらも毎戦のように見ていたのでした。

実際にサーキットに足を運ぶようになったのは、大人になってから。
中学時代の友人がSUPERGTのサーキット観戦に熱中する中、私も一緒に見に行くようになりました。今でも年に何度もサーキットでレースを観戦しています。

大人になってからの私は、発達障がい・双極性障がいと付き合いながらの生活を送ることになりますが、モータースポーツに触れることをエネルギーに変えて、少しずつ歩みを続けてきました。
その後、自宅のある滋賀からリモートワークでバリアフリーeスポーツ事業を行うePARA社に関わった後、「障がい×eスポーツ」の仕事を志してビーウィズ株式会社に就職。eスポーツ事業を担当しています。

そんな、いちモータースポーツファンに過ぎない私が、まさかeモータースポーツのお仕事をすることになろうとは。

リモートワークを行う希央の仕事場

eモータースポーツを多くの人に届ける「クロスライン」始動

2022年6月、ePARA社から一本の電話。「eスポーツの力で、モータースポーツを盛り上げられないか」という内容のものでした。

はじめは「何のこと?」と思ったのですが、「Mobility for ALL」の話を聞き、「これはやった方がいい」と考えました。所属するビーウィズ社の承諾を得て、すぐにアイデアを考え始めました。

はじめはハードウェアやプログラムを伴う情報保証などを色々と思いつくも、なかなかこれと決められる案は出せませんでした。ディスカッションを重ねる中で最も実現価値の高い案として出てきたのが「eスポーツ体験」とモータースポーツの掛け合わせ。『クロスライン』の原型となる、eスポーツによるサーキット走行の擬似体験のアイデアでした。

その後、障がい当事者がオンラインでモータースポーツの基本を学び、eスポーツでコースを体験した後に、実際のサーキットで生のレースに触れてもらう「旅」企画に進化。準備段階から「旅」になぞらえる点も含め、障がい当事者が中心になって活動する前例のない取り組みに変化していきます。2022年8月、SEASON1・2と合わせて1年1か月に渡るボクらの「旅」が始まりました。

SEASON1の取り組み

SEASON1、予想外の幕切れ

2022年10月。岡山国際サーキットでの実証が近づく中、企画・クリエイティブなどそれぞれの持ち場で着々と準備を進めていました。

SEASON1の課題設定は、「バリアをなくせば、笑顔は増えるのか」。視覚・聴覚・肢体不自由・精神・発達・知的など多様性にあふれる障がい当事者が参加する中で、障がいの有無に関わらず誰もが「楽しむ」旅づくりを目指しました。

しかし、本番を1週間前に控えた時、私に予想外の事態が起こります。同居する家族が新型コロナウイルスに感染。当時の隔離期間では、会場に行くことができなくなりました。こんなことがあるのか、と途方に暮れました。しかし、オンラインでも参加できるのがこの「旅」の特徴。当日はオンライン組として、イベントの様子をサポートしながら見守りました。

SEASON1 岡山国際サーキットでの記念写真。希央はこの様子をオンラインで見守った。

リベンジを誓った 鈴鹿の地

2022年11月、スーパー耐久レース最終戦。「Mobility for ALL」の実証実験のために鈴鹿サーキットに向かいました。滋賀県にある自宅から鈴鹿までは車で1時間半なので、自分の車で現地へ。

鈴鹿サーキットでは「Mobility for ALL」に採択された7チームが実証を行っていました。「クロスライン-ボクらは違いと旅をする-」SEASON1は10月の岡山国際サーキットで閉幕していたため、ePARA関係者は他チームの実証協力として参加しました。いくつかのソリューションを体験しながら、ePARA関係者から岡山国際サーキットでの実証の感想を聞いたり、所属するRacing Fortia(ePARAのバリアフリープロジェクト「Fortia」(フォルティア)のうち、モータースポーツに特化したユニット)の仲間とレースの話で盛り上がったりなど、楽しい時間を過ごしました。

一方、観戦を終えて帰りの車の中で現れたのは、「このままで終わりたくない」という気持ちでした。次こそは現地で、みんなと一緒に「クロスライン」の続きを作りたい。帰路にそんなことを考えながら運転していたら道に迷ったのも、今となっては良い思い出です。

2022年11月27日に鈴鹿サーキット内で行われた「Mobility for ALL」の実証実験

SEASON2 もてぎ。「楽しむ」から「挑む」へ

「クロスライン」SEASON1の活動が評価され、ePARA社は「Mobility for ALL」ファイナリストとして2023年も実証の機会を得ることに。次の最終会場は栃木県・モビリティリゾートもてぎで行われるスーパー耐久レースです。

SEASON2のテーマは『挑む』。メインの活動は、障がいの有無を問わず様々な人が参加できるeモータースポーツのレース「クロスラインレース」をサーキット現地で行う実証となりました。

「クロスラインレース」のキービジュアル

リアルとバーチャルの垣根を越える

リアルとバーチャルの垣根を超えて融合を目指す「クロスラインレース」。この実証ではレーシングシミュレーター4台を会場に配置。参加チームは、バリアフリーeモータースポーツチーム「Racing Fortia」(ePARA社)、障がいのある人でも運転できるシミュレーターを開発する企業で元F3ドライバー・長屋宏和氏も参画する「テクノツール」チーム、レーサー向けブレインテックに取り組む「KDDI」チーム。
2日目にはその3チームに加えて、国内最高峰のSUPERGTやドリフト競技で活躍するプロドライバー3名(岩澤優吾選手、塩津佑介選手、塚本ナナミ選手)が出場する『リアルレーサー』チームが参加しました。

会場には、レースを見守る観客もいます。レース展開をわかりやすく伝える実況・解説もいます。レーサーとファンの垣根を越えて、声がすべてレーサーに届くのもバーチャルレースの特長です。
さまざまな挑戦を盛り込んだ「クロスラインレース」。しかし、本番までの道のりは必ずしも順風満帆ではありませんでした。

リアルレーサー(岩澤優吾選手)とeレーサー(石水優夢選手)の対決
実況席では、リアルレースの実況・監督と、「車椅子女子」牧野美保さんが共演

生みの苦しみ「クロスラインレース」

2023年1月から約9か月に及んだ「クロスライン」SEASON2。「Mobility for ALL」事務局による伴走の元、バリアフリーeモータースポーツチーム「Racing Fortia」を中心に企画を進めました。

「誰もがeレーサーに挑戦できる」レース設計を目指して

サーキットでeモータースポーツイベントを行うにあたり、「クロスラインレース」のレース設計にはとても苦労しました。eモータースポーツとモータースポーツは、似ている点もあれば全く異なる点もあり、それを意識しながら設計しました。また、障がい当事者である点を生かしながらリアルレースに寄せる部分、寄せない部分を考察し、以下のような工夫をしました。

◆リアルレースに寄せる部分
・ゲーム内でも、モビリティリゾートもてぎのコースを使用する
・実車の走行の見える会場(VIPルーム)で実証を行う
・スーパー耐久レースのスタートと同時にバーチャルレースをスタートさせる
・レーシングシミュレーターを使用する

◆リアルレースに寄せない部分
・出場者の健康に配慮し、レース時間を短縮させる(5時間 ⇒ 90分)
・実況、解説、観客との距離を近づける
・会場で、リアルレースのオンライン放送(S耐TV)を視聴できるようにする
・順位にこだわらないレース設計にする

「Racing Fortia」がまとめた、eモータースポーツとリアルモータースポーツの共通点・相違点
「クロスラインレース」は、サーキットの見えるVIPルームで開催された

猛暑でもオンラインで楽しめるイベントに

SEASON2の企画で私たちが頭を悩ませたのは気象です。2023年の夏が過去最高の猛暑を記録したのはご存知の通りですが、サーキットは路面温度が50度を超えることも多く、猛暑の影響が色濃くなります。一方の私たちは、さまざまな障がい当事者で構成されており、身体が強くないメンバーが多くいます。企画当初は、SEASON1同様に多くのメンバーが現地入りして「旅」することを目指していましたが、安全に最大限の配慮をする方針に変更し、多くのメンバーの現地入りを取り止めました。そして、オンラインでも「挑む」ことができる企画づくりを重視し、以下のような点に注力しました。

◆オンラインの挑戦
・障がいを持つYouTuberがオンラインでの解説に挑戦
・eレーサーがオンラインで「クロスラインレース」に参戦
・オンライン観戦会の開催

なお、こうしたオンラインへの対応は、私がSEASON1でオンライン参加になった経験が生きた面もあり、コロナウイルスによる活動自粛も悪いことばかりでなかったと感じています。

難病を持つYouTuberが、北海道からレースを実況し、オフライン会場を盛り上げた
会場では、S耐TVの放送もリアルタイム字幕付きで放送された

「クロスラインレース」開幕

2023年9月2日。「クロスライン」SEASON2の開幕。私は当日、「ピットレポーター」を担当しました。

「ピットレポーター」とは、コースサイドから放送席に呼びかけて状況を報告するスタッフです。SUPERGTなどのレース中継においては、レーサーやチームスタッフの生の声を届ける「ピットレポーター」が不可欠です。今回のイベントにもリアルレースさながらの「ピットレポーター」を盛り込むことで、臨場感を豊かにできるのではないかと考えたのです。

結果的に「放送席、放送席」という呼びかけから始まるやりとりが、イベント中に観客からも出演者からも好評をいただき、イベントの盛り上げに寄与することができました。

緊張の面持ちで始まった「ピットレポーター」の任務。
次第に表情も和らぎ、アドリブも入れられるように。

憧れの世界から、自らの舞台へ

私にとって「クロスライン」は、モビリティやモータースポーツに今まであまり触れてこなかった人に、eモータースポーツを通じて「車やレースっておもしろいんだよ、ちょっと見てみてよ」と伝えていくプロジェクトです。

では、元々モータースポーツファンだった私、伝える側の人間がこのプロジェクトで得たものは何か?それは、「モータースポーツを自分ごとにする」ことができた点です。

これまでは観客の目線でしか見たことのなかったモータースポーツ。この「旅」の中で初めて自分の実体験として捉えることができた、誰かと作る「旅」がこんなにもおもしろいものなんだと改めて実感することができた。そしてさらにその魅力と体験を多くの人に伝えていきたいと強く思いました。

「クロスラインレース」の集合写真

これまで、「憧れの世界」でしかなかったモータースポーツの世界が、eモータースポーツを通じて自らが挑戦できる「舞台」となりました。この体験はかけがえのないものだと思っています。

「クロスライン」のSEASON3に向けて、採択を受けられるのかどうかは定かではありません。ただ一つ言えるのは、「モータースポーツの世界により多くの人を惹きつける」力のある企画をここで絶やしてはならない、ということです。
この先も「クロスライン」の世界を広げていけるよう、私も精一杯取り組んでいきたいと思います。
なぜなら、ここはもう自らの「舞台」なのだから。

「憧れの世界」で観てきたレース関係者との共演を果たした希央。